昭和54年4月19日 二代親先生 朝の御理解
御神訓一、「体の丈夫を願え。」
御神訓一、「体を作れ 何事も体がもとなり。」
御神訓一、「用心せよ わが心の鬼がわが身を責めるぞ。」
今朝ほどから、親先生一行、岡山の方に行かれまして、古川の式年祭に、ご出席なさることなりまして、今朝、五時前に、こちらをご出発なさいまいした。ええ、本当に、あのう、いつものことながらですが、ほんと、神様のお働きの、恐れ多いことに、ただただ、私自身が驚くわけですが、今朝ほどから、あのう、お目覚めのおかげを頂きますのに、もう、大げさに表現するならば、ふと、布団と私の体が、セメダインで、こう、くっつけられたごたあるように、それこそ、こう、起きるのに、体が、ムリムリいうぐらいに、あのう、感じがするんです。特に、最近は、体が、あのう、あまり本場しくございませんので、朝、起きることが、大変、修行なんです。うん、それで、今朝、起こさせて頂きながら、こりゃ、本当、あのう、全然、運動をやりませんからね、「少し、運動ぐらいして、ええ、体を作らなきゃいけんなぁ。」と思わせて頂いたんです。そしたら、あのう、その、思うたとと同時に、このご理解を頂いたんですよ。「体の丈夫を願え、体を作れ、何事も体がもとなり。」。そして、すぐ思うたことが、あのう、「祈れ薬れにすれば、おかげが早い。」ということを思うんですね。「ははぁ、なるほどなあ。」。いわゆる、あのう、九州でも、私の知っておる、もう、なかなか、あのう、偉い先生ですが、ええ、「私は、朝の御祈念前に、体を作りよる。」と。毎朝、あのう、何キロですか、マラソンをして、体を作って、コンデションを整えて、御祈念するという、お話しを伺いしたことがあるんですけれども、こういうことを、お互いやっておるような気がします。ここにもありますように、間違えなく、「体の丈夫を願う」ということが先決なんです。そして、「体を作れ」ということにならなきゃぁ、うそなんですが、どうしても、私たちの、人間心で考えますと、体を作ることに、先走りするところがあります。そして、これ、ここで、教典を開かせて頂いて、こう、「そのご理解が、出るんじゃぁなかろうか。」と思いながら広げたら、本当に、この御理解が出て、びっくり自分でもしておるわけです。
そして、驚いたのは、ええ、同じページの中にあるんですが、「用心せよ。わが心の鬼が、わが身を責めるぞ。」という。これは、今朝ほどから、起こさせて頂いて、そこの、信者控え室に入らせて頂いたら、もう、親先生が、すでに、お出ましになっておりました。で、あそこに、二十分ぐらい親先生と共に、心中祈念をさせて頂きながら、信者控え室におりました時に、親先生が、突然、「若先生、今朝ほどから、神様から、お知らせを頂いたのは」、親先生の部屋に、古伊万里焼が、の器があるんだそうなのですが、そのふた付きの、を、ふたを取って中に、一切れの蕗を、こう、入れて下さるところを頂いたそうです。これが、あのう、あのう、「『神様の一握り、神様の一切れ』ということは、なると、大変なことばい。」とおっしゃるわけです。いわゆる、蕗ということは、蕗とは、富貴繁盛の富貴なんです。それを、古伊万里の器の中に入れて下さるところ。これは、お互い、また、お互いのところで理解してください。それと、もうひとつは、うん、「桃太郎さんが、犬、サル、キジの、を、お供して、身支度をして、『さぁ、出発だ。』というような状態を頂いた。」とおっしゃるんです。ですから、これは、「ほほ、それじゃぁ、今日、今度の親先生の岡山行きは、鬼退治だなぁ。」と私、思わせて頂いたんです。そしたら、この、「用心せよ。わが心の鬼がわが身を責めるぞ。」という御理解も一緒にある、わけです。お互いの、心の中の鬼というのは、「一体、何か。」ということなんです。私は、今朝の御理解から頂きますと、人間の思慮分別。常識観念。「これが、最大の鬼だ。」ということを思わせて頂きます。例えば、商売を、ここで、うんなら、商売のことでいきますと、「商売の繁盛を願え。」ということになります。商売の繁盛を願うことが、先決でなきゃぁいけないんです。ところが、もう、それこそ、「働きゃぁ、金が儲かる。人間の計らいで、どうかすりゃぁ、儲かる。」ということが、お互いの中に、先決になっておるんじゃぁなかろうか。
うん、昨夜も、うん、今度の、合楽建築のことで、ええ、まぁ、銀行に融資のことで、いろいろお願いしなきゃぁなりませんので、ええ、経理部長の久保山さんが、いろいろと資金計画をさせて頂いておられたんですが、ええ、たまたま、昨日の月次祭が終わって、信徒会長と、二階に行きましたら、まぁだ、やっておられた。もう、だから、一日中、御用を頂かれて、まぁ、ようやく、その資料ができたわけですが、その資料をみさせて頂きながら、「本当に、数字の中に、神様を見ますね。」っていうて話したことなんですが、過去十年間の合楽の、お下がりを、ずっと数字の上に現しておられたんですが、こりゃぁ、皆さんも、本当、いっぺん、御覧になったら良いと思います。間違えなく、あの、ある一定で、きっちり、ずっとおかげ頂いてるです。だから、「去年より、今年が少ない。」とか、急に、ボーンと上がったっちいうようなことがないんです。間違えなく、ええ、久保山さんの言葉で借りますと、120パーセント増のおかげを、ずっと頂いてるんです。これなんかが、面白いのに、親先生が、よくおっしゃる、例えば、昨昨年、でしたか、記念祭がございました。この時は、記念祭ですから、あのう、お下がりも、急にボーンと上がってるわけです。したら、翌年は、その記念祭の分だけ少なくならなきゃぁいけないでしょう。ところが、合楽の場合は、ボーンと上がったら、あのう、また、その上がったところから、また、次の上がったところという具合にいくんです。ええ、先月、うん、ずっと今、ついとつ、一日の合楽の参拝人数が、何百枚づつか、ずっと上がってる、ってますねぇ。ところが、今度は、四月一日は、いろんなことが、絡み合いましたから、また、急に上がってます。そんで、この頃、修行生の人に、「あんたたちは、今度、四月一日の、この人数をどう思うか。」と。常識で考えるならば、四月一日は、まぁ、いろんなことがあったから、多くなったと考え、私たちは、そう思うんですけれども、親先生は、そうじゃぁない。「いわゆる、神様のおかげを頂いて上がってきた。」しておられるんです。そこに、やっぱり、神様の働きが、うん、それから、また、起こってくるということになるわけです。
ええ、私たちの常識とか、あのう、思慮分別とかいうものの、を、超えたものを、お互い身に付させて頂かなきゃぁいけないし、今朝の、この「体の丈夫を願え」ということが、人、ええ、神ながらの働きとするならば、「体を作れ、何事も体がもとなり。」、体を作るということが、人ながらな働き。親先生が、最近おっしゃる、「右手と左手と合わさったものが、手が、この体の丈夫を願え。体を作れ。」ということになるんでしょう。
それと同時に、いよいよ、私たちの心から、わが身を責める鬼を、一匹づつ退治させて頂かなきゃぁいけないだろうと思わせて頂くわけです。先日から、面白いお夢を見させて頂いたんですが、私が、うん、もう十何人という人を、こう、殺しておるわけですね。それで、ええ、いわゆる、あの逃亡生活に入るわけです。合楽を逃れて、逃亡生活に入るわけです。そして、もう、自分で、ええ、その逃亡生活に絶えられなくなり、して、また、「なんという、罪深い私じゃろうか。」って、もう本当に、へきへきするぐらいに、そのことが嫌になって、った、その瞬間に、思ったことは、「はぁ、これで、本気で、ご結界に座れるぞ。これで、本気で、取次者の自覚に立てるぞ。」と、こう思ったんです。そしたら、不思議に、その付きものが、落ちたように、もう素晴らしい、その安らぎというか、平和が私の中に、あのう、生まれてくるところです。そして、ええ、すぐ、思うたことは、「いよいよ、これからは、山本を目指していこう。」ということを思うとる、お夢を頂かして頂いた。そん、どういうことか分からないままに、それ、その話しを、親先生と、うん、食事を先日させて頂きながら、その話しをさせて頂いたら、私が、びっくりするぐらいに親先生が、感動なさって、そのお話を聞いて下さるわけです。そして、「若先生、ほんなこつはね、本当は、百人の信者を殺さなきゃぁ、本当の、あのう、取次者にはなれんよ。」とおっしゃってくださるんです。「ははぁ、こういうことであったのか。」と思わせて頂いたんですが、ええ、お互い、どうでしょうか、本気で、わが心の鬼に気付き、本当に、「なんという、罪深き我であろうか。」、本、そこに、を至った時に、はじめてそこから、本当の自覚というものが、生まれてくるんじゃぁないでしょうか。「今度の合楽建築に、おかげを頂きたい。」。お互い願いを立てております。昨日も、ある婦人が、お届けなさるのに、うん、お風呂のお湯を沸かしよるのに、お水が少しなもんですから、もう、あのう、お風呂の釜が、割れかかる、とるところを頂いておるという。だから、このご造営に、「今度の合楽建築におかげを頂きたい。」と、お互い、そういう情熱は、いっぱいあるわけでしょう。ところが、お恵みの水が少なかったら、それこそ、釜まで割れるようなことになるわけです。だから、神様のおかげを頂かなければ、お湯は湧かないし、うん、今朝の御理解からするならば、本当に、体の丈夫を願うこと。お恵みを先に頂かなければ、人間の体というのは、「そこ一寸、動けんのだ。」ということを思うわけです。お互い、神様の働きと、私たちの、その精進とが一緒になった時に、はじめて本当なことになってくる、いわゆる、そこに合楽の世界が生まれてくる。そこに、はじめて、わが心の鬼が、を退治することができるということになるんではなかろうかということを思わせて頂きました。ええ、まぁ、今度の、親先生たちの、信心実習は、まぁ、どういう鬼退治であったのか、また、楽しみにさせて頂きたいと思いますけれども、どうぞ、今度の、いよいよ、願いが、切であれば、あるほどに、お互い、そこの、人ながらの精進と合わさってのことを、させて頂かなけりゃぁいけないと思わせて頂きます。おかげを頂きました。